夏の思い出 京都にて(2) 蹴上インクライン
琵琶湖疏水ができるまで滋賀と京都の間の輸送は人や馬が行っており、大量の物資を運ぶのは難しかったため、琵琶湖の水を京都に引き込む疎水工事(明治18年着工 同23年竣工)の際に船による輸送能力の向上を目的として開かれたのが蹴上インクライン。乗り鉄の私も、この線路だけは今となっては眺めることしかできません。

船は自力で坂道を上がれないので、動力で持ち上げることが必要だったのですね。疎水工事は、東京が遷都された後の京都の発展にとっても重要と考えられていたようで、発電や灌漑など複数の目的も有していました。先日ご紹介した南禅寺の「水路閣」もこの疎水工事の一環
滋賀から京都まで、連なる山々を貫いて行われた当時としては非常に大規模なこの工事、多額の予算が投入されたこともさることながら、西欧技術が日本に導入されて間もない頃に日本人の手によって設計・施工が成し遂げられています。
ということを現地の表示で改めて確認して、はたと思いました。
夏の盛りには絶対に帰省しなかった私が今年はなぜ無理やりにでも時間を作ってでも帰って来ようとしたのか、なぜ出不精の私を動かすほど今回なぜここに一番に来たくて仕方がなかったのか。
人間の適応力を超えているのではないかと思われるほどに速く、大きく変わりゆく世界の中で一体この後どのようにして生きて行けばよいのか考え続ける私のこの何年もの日々、それまでの都から一転して一地方都市になった京都の再生をかけて大きなチャレンジをした人々がそんな私を見かねて何かを伝えようと、ここに呼んでくれたのかもしれません。





